《クリックで拡大》 信州川中島武田の正平、西条山を引かへし、 Next次を見る
雨宮のわたりをこへ、越後方甘粕近江守と戦ふ図

一勇斎国芳 大判三枚続 刊年:安政二年(1855) 版元:両国広小路・林庄板 絵師紹介

 勘助の『啄木鳥戦法』により信玄は隊を二つに分け、一隊(一万二千)を妻女山に向かわせ、自らは旗本八千を率いて海津城を後に千曲川を渡り、八幡原に陣を張った。妻女山を攻めた高坂弾正の率いる武田勢であったが既に敵影は無し、驚いて急ぎ八幡原本陣の救援に向かうが、甘粕近江 守景時は一千の兵をもって対岸に陣取りこれを防ごうとする。
 形勢逆転したのちは、善光寺に引き返す上杉軍を殿(しんがり)として援護したと伝わる。まさに猛将の姿である。

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