小島 弥太郎(こじま やたろう、生没年不詳)は上杉氏の家臣。小島貞興(こじまさだおき)ともいわれる。諱は一忠(勝忠)。通称は慶之助。 妙高高原辺りの出身と言われ、上杉謙信の幼少期から側近として仕えた。強力無双の豪傑で、「鬼小島」と恐れられたと言われている。絵本甲越軍記に、鬼小島弥太郎として登場する、謙信の使者として織田陣営に赴いたという。
弥太郎は上杉氏の軍役帳や名簿に記載されておらず、実在したかどうかを疑われている人物である。上杉軍の中には小島姓を名乗る人物が多く存在するため、そこから創作した人物という説もある。しかし、彼に関する伝説は多く、足利義輝の飼う大猿を懲らしめ(同様の逸話は太田道灌にもある)たり、甲斐武田家に使者した際に襲い掛かってきた猛犬を打ち負かしたり、その他、山県昌景が川中島の戦いの際に弥太郎の事を「花も実もある勇士」と賞賛した(山県昌景が小島弥太郎との一騎打ちの最中、信玄嫡男・太郎義信が窮地に陥るのを見て、小島弥太郎に「主君の御曹司の窮地を救いたい為、勝負を預けたい」と願い出た所、弥太郎が快くそれを承諾したことに恩義受けての発言。甲越信戦録より)など多彩なエピソードが残されている。
伝説では、弥太郎は乙吉城主(長岡市)であったとされる。永禄4年、川中島の戦いで深手を負い、越後へ向かう途上の飯山で落命したと伝わる。弥太郎の墓とされるものが、長野県飯山市の英岩寺にある。また一方、鬼小島弥太郎戦死の地というのが長岡市(旧栃尾市)の大野の天神山にある。
※フリー百科事典「ウィキペディア」より一部引用
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