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歌川玉欄斎貞秀 大判六枚続 刊年:弘化四年〜嘉永五年(1847-52) 版元:浜田屋徳兵衛 | 絵師紹介 |
川中島合戦の浮世絵中屈指の名画である。 6枚続きという雄大な視野で、右3枚に上杉方の陣、左3枚に武田方の陣を描いている。 一触即発、嵐の前の静けさである。 上杉方の陣地では、謙信の左右に錚々たる越後の武将が控えている。 上杉の旗印は桐である。もともとは「竹に雀」であるが、朝廷から菊桐の紋を許されたので江戸時代にも上杉家は桐の紋を使っていた。 右図前方に鬼小島弥太郎が描かれている。沼垂郡(新潟県北蒲原)小島の武士で、越後方きっての勇士であった。川端で物見している斎藤下野守(朝信)は、越後の代表的武将の一人である。 |
武田方は千曲川左岸に陣を取っている。向こう岸に雨ノ宮、八代(屋代)が見える。 永禄四年の激戦の際、謙信が妻女山を本陣とした話が弘治2年の戦いの話に取り込まれ、武田軍がその基地・海津城と反対の岸に陣を取るという不自然な形がとられている。 楯の中、右から穴山梅雪、武田左馬之助(信繁)、内籐修理(昌豊)、諸角豊後守(虎定)、山県三郎兵衛(昌景)など武田の代表的武将が勢ぞろいしている。信玄の前にひざまずくのは山本勘助である。 千曲川は藍のぼかしが巧みに効果的に使われ、画面の広大な感じを演出している。遠方に西条山(妻女山)の上杉陣所、高坂弾正率いる武田別動隊の武将名も描きこまれている。 |
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