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一寿斎芳員 大判三枚続 刊年:安政元年九月(1854) 版元:伊勢屋兼吉 絵師紹介

 この作品も軍師山本勘助の討ち死に直前の姿を描いたものであるが、上杉軍のなかにあって勇猛をとどろかせた児島弥太郎(通称・鬼児島)と対峙する構図をとっている。鬼児島もこの戦で、深手を負い、謙信と共に千曲川を渡ったのち、現在の飯山市で落命をしたと伝えられている。そのため、今も飯山市内には、鬼児島の供養墓が存在している。 飯山地方は、信州の 中にあって最後まで上杉の勢力範囲にあった地域である。
                           史跡巡り・鬼児嶋弥太郎の墓

 芳員(よしかず)は国芳の弟子であり、作品は師・国芳の同種の構図に基づくものと考えられるが、芳員の力量は十分に示されている。

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