武田と上杉の信州を舞台に繰り広げられた一連の戦いを描いた作品である。それぞれの区切りを雲や山で表現するのは巻物や屏風などに見られる伝統的技法である。川中島合戦は十二年(天文二十二年・1553〜永禄七年・1564)に亘る五回の戦いというのが通説であるが、この絵には天文十六年(1547)を初度と記し以降天文二十三年(1554)南原までの三度の対戦を記し、次の図でさらにそれ以降の三度、永禄四年九月十日(1561)の合戦まで両図合わせて都合六度の争いが描かれている。
川中島合戦の浮世絵は武田方の立場で書かれた「甲陽軍鑑」や、上杉方の立場で記された「川中島五ヶ度合戦次第」を下敷きにしていることが多い |
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が、この絵は「甲越信戦録」をベースに描かれているようだ。「甲越信戦録」は江戸後期に川中島地方の一知識人によって書かれた著者不明の書である。上杉の「川中島五ヶ度合戦次第」を柱に、「甲陽軍鑑」等や地元村人の伝承を基に著した軍記物語で、川中島の地理地形には詳しいが史実性(年代特定)には難があるようだ。この絵では天文十六年十月の海野平対陣を初度の合戦としているが、信頼できる史実によれば、村上義清が武田軍に破れ、越後に逃れたのは天文二十二年であり、この点について「甲越信戦録」は天文十六年と記している。詳しくはトップページの参考文献に記した、岡沢由往
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