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武田信玄と並び称される戦国武将、上杉謙信には、数多くの勇将、猛将がいたといわれている。七人衆、十一人衆、三十五人衆などさまざまな呼称があり、上杉二十五将というものもある。これは、元和元年(1615)上杉家の家臣が書き置いたものを、寛文九年(1669)に幕府に提出したという『上杉将士書上』のなかに登場する武将たちである。『上杉将士書上』は、上杉軍役帳その他に出てくる武将たちの略伝で、二十五将以外にも名高い人物、例えば直江山城守兼続、鬼小島弥太郎一忠らが書き上げられている。
二十五将の名前を列挙すれば、
長尾越前守政景、宇佐美駿河守定行、新津丹後守義門、金津新兵衛尉義舊、北条丹後守長国、本庄美作守慶秀、本庄弥次郎繁長、色部修理亮長実、甘糟備後守清長、杉原常陸介親憲、斎藤下野守朝信、安田上総介順易、高梨源三郎頼包、柿崎和泉守景家、千坂対馬守清風、直江大和守実綱、竹股三河守朝綱、岩井備中守経俊、中条越前守藤資、山本寺勝蔵孝長、長尾権四郎景秋、吉江中務丞定仲、志田修理亮義分、大国修理亮頼久、加地安芸守春綱
の二十五将である。
この『上杉将士書上』とともに『北越軍記』『越後軍記』『川中島五箇度合戦之次第』など、多くの軍記、軍学書の類が、甲斐の『甲陽軍鑑』に対抗する形で書かれている。しかし『甲陽軍鑑』も含め、史実書としては信憑性に欠けフィクション的様相も少なくないようである。
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