《クリックで拡大》 武田家勇将軍評定之図 Next次を見る

五雲亭貞秀 大判三枚続 刊年:天保十四年〜弘化四年(1843-47) 版元:山本屋平吉 絵師紹介

 川中島合戦は、武田信玄が北信濃攻略の一貫として信州更級の城主村上義清を襲ったことに始まる。本拠葛尾城を奪われた義清は、これを奪回するために上杉謙信(当時、長尾輝虎)に救援を求めた。これに対して謙信は、「義の為」信濃に出兵し、ここに十二年、五回に亘る川中島合戦の火蓋が切って落とされるのである。
 左図左端に幼い勝頼(天文15年・1546生)の姿、また右図中央には武藤喜兵衛(真田昌幸・天文16年・1547生)が若々しく描かれ、この場面がいよいよ北信濃侵攻を本格化させようとする時代を描いたものであることが解
る。勝頼・昌幸の年齢と絵が一致しないが、武田二十四将の一人に数えられ、その後の活躍でも知られる武藤喜兵衛(真田昌幸)は頼もしい若武者に描かれている。一方、勝頼は武田家滅亡の当事者であり、江戸時代にもその人気は低かったので絵でも子ども扱いしているのではないかと推測される。
 本図は歌川国貞(三代豊国)の門人、貞秀によるもの。西洋銅版画の切り抜きを集めて、科学的、実証的な写実法を学んだ絵師として有名。この図もヨーロッパの遠近法を取り入れて描かれている。

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