《クリックで拡大》 | 川中嶋軍記強憶饗應之図會 | Next⇒次を見る |
五雲亭貞秀 大判三枚続 刊年:弘化4年〜嘉永5年(1847-1852) 版元:藤岡屋慶次郎 | 絵師紹介 |
『武田家無類の功臣と呼ばれる板垣 駿河守信方は味方の勇気を励まさんと 大将分並びに陪臣に至るまで名に聞こえる 面々を招き酒飯をもって饗(もてなす)に高名ある 者は小身陪臣といえども上席に居て朱 塗の膳椀等を用い且つ献立に魚鳥を もてなし又合戦ばに後○○取○は家門大 身といえども末席におらしめ膳部は黒 漆にて塗しものを用い魚物を除き野 菜のみにて麁末(そまつ)に調理せしを出しとうや かの源頼義朝臣が前九年凱陣の後 強憶の座を○○○しに倣いし○○○○甲の 座に着して快気に食するあれば乙の席に 居て面無さたるるも見えけるとぞ』 繍像略伝史 柳下亭種員誌 略伝を読んでみたが筆者は古文書の知識は皆無で漢字も変体仮名も思 |
うに任せない。『頑張った家臣は身分の高低を問わずに上席にもてなし、合戦で働きの少なかったものは身分が高くても末席で精進料理に甘んじなければならなかった』というようなことが書いてあるようだ。絵を見ると上席(朱塗りの膳)には御頭付が添えられているのに対し、末席のはいかにも粗末そうで面白い。 板垣信方は川中島合戦以前の上田原合戦(村上義清と戦い、信玄の生涯最大の負け戦といわれる)で戦死しているから、それ以前の説話である。 「繍像略伝史」とは甲越軍記のこと。 「柳下亭種員」文化四年〜安政四年(1807-1858) …広重や国芳の絵に平易な説明書きや短歌、俳句などを書いた人。 |
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