トップページ 合戦のあらまし 作品リスト 絵師紹介 史跡巡り

川中島合戦史跡巡り
八幡原史跡公園 海津城跡公園 山本勘助の墓 板垣信方の墓、上田原古戦場
典厩寺(武田信繁の墓) 妻女山 諸角豊後守の墓 鬼児嶋弥太郎の墓
桑山茂美の墓(狐丸塚) 雨宮の渡し 高坂弾正の墓(明徳寺) 原大隅守の墓(地蔵寺)

 海津城跡公園   <長野市松代町松代> アクセス 

■松代城(海津城)



 松代城は永禄三年(1560)頃、甲斐の武田信玄によって「海津城」として築城されて以降明治の廃城まで存続した城であり、三百余年の間北信濃の歴史における拠点的場所であった。慶長5年(1600)、森忠政が城主の時に「待城」と改名され、その後「松城」と呼ばれる時期を経て、真田三代目藩主幸道のとき幕命により「松代城」と改名された。 しかし江戸時代における武田氏の人気の高さも影響して、一般的俗称として「海津城」という呼び名は使用され続けていたようだ。平成の大普請では発掘調査や絵図史料により、享保二年(1717)の火災以降に再建された「松代城」を復元整備した。その姿は簡素で力強い戦国期の城郭にも似ており、「海津城」の名残を多分に残しているといえるかもしれない。昭和五十六年四月、松代城は現存する城郭建築である神御殿とともに「史跡松代城跡附新御殿跡」として国の史跡指定を受けた。
 写真は130年ぶりに姿を現した太鼓門と橋詰門。
浮世絵を見る⇒八幡原直戦之図


●アクセス 最寄の川中島合戦史跡を合わせて表示しています。ポイントクリックで説明表示。


ページトップへ
トップページ 合戦のあらまし 作品リスト 絵師紹介 史跡巡り

マザーサイト【額縁のタカハシ】