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川中島合戦史跡巡り
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 典厩寺(武田典厩信繁の墓)   <長野市篠ノ井杵淵> アクセス

■典厩寺山門



 永禄四年(1561)九月の川中島合戦で討死した信玄の実弟・武田左馬助信繁(典厩)の墓がある。
 合戦時は鶴巣寺と号して薬師如来を本尊としていた。
合戦から60年後、松代藩主真田信之が信繁の唐名「典厩」から寺号を典厩寺と改め、信繁の菩提と武田・上杉両軍の戦死者6千余名を弔った。
浮世絵を見る⇒川中島百勇将戦之内義将・武田左馬之助
■武田信繁(典厩)の墓



 信繁は討死して上杉方に首級を取られたものの、信繁の家臣らが追撃して取り返したが、首級は領地であった小諸に持ち帰ったため、当寺の墓は胴体だけと伝えられる。小諸は永禄2年まで信繁の嫡男信豊が城主をしていた甲斐方の拠点であった。その墓碑(首塚)は現在布引山釈尊寺に寄託されている。
浮世絵を見る⇒甲越川中島大合戦
■信繁公の首きよめ井戸



 一旦は上杉方に奪われたが信繁公家臣によって取り返された首級は、この井戸によって清められたと伝わる。
■閻魔堂



 本堂の前にある閻魔堂は川中島合戦より三百年にあたる万延元年(1860)、甲越戦死者の弔魂のため松代藩八代藩主真田幸貫の発願により建立された。
閻魔大王像は日本一の大きさ(高さ約5M)で有名。
■川中島記念館

 境内にある川中島合戦記念館は昭和41年(1966)完成した。
寺宝である信玄・信繁・山本勘助の画像ほか武具、仏画など貴重な史料60点余りを収蔵展示され、川中島合戦の歴史を今に伝えている。


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