■雨宮の渡し史跡公園
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永禄四年(1561)9月9日夕、妻女山に陣を張る謙信は海津城に立ち上る炊飯の煙がいつもより多いことから武田軍の奇襲を察知、急遽、夜陰に紛れて全軍山を下り、人馬音を立てずに鞭声粛々と「雨宮の渡し」を渡り川中島平に進撃した。一方信玄は隊を二手に分け、本体を八幡原に布陣する一方、別働隊は妻女山の謙信を後方から攻撃して川中島平に追い出し、待ち受ける本体とこれを挟撃せんとしたのである。おりしも川中島平一帯には深い霧が立ち込め、武田軍には謙信の動きが察知できなかった。霧が晴れてきたとき武田軍の眼前にはすでに上杉の大軍が迫っていたのである。この霧こそが戦国史上最大の激戦といわれる川中島合戦の伏線となったことはいうまでも無い。
幾百年も経て千曲川の流れは北に移動し渡し跡の面影は無いが、頼山陽の有名な詩碑に往時をしのぶことができる。
【頼山陽の詩碑】
鞭声粛々夜渡河 暁見千兵擁大芽
遺恨十年磨一剣 流星光底逸長蛇
鞭聲肅肅夜河を過る
曉に見る千兵の大牙を擁するを
遺恨なり十年一劍を磨き
流星光底に長蛇を逸す
【野村俊夫作詞 古賀政男作曲 霧の川中島】
1.人馬声無く草も伏す 川中島に霧深し
聞こゆるものは犀川の 岸辺を洗う せせらぎぞ
2.雲か疾風か 秋半ば 暁やぶる ときの声
まなじりさきて ただ一騎 馬蹄にくだく 武田勢
<吟>
鞭声粛々夜渡河 暁見千兵擁大芽
遺恨十年磨一剣 流星光底逸長蛇
3.車がかりの 奇襲戦 無念や逃す 敵の将
川中島に 今もなお その名ぞ残す 決戦譜
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